0.経緯と前提
1.問題の所在の把握・共有と具体的なとり組みのために
a.「若手研究者問題」は学問研究の将来に関わる学界全体の問題との危機感を共有する
b.「若手研究者問題」へのとり組みは研究環境のバリアフリー化をめざすものと認識する
c.当事者意識をもつ者の輪をひろげ、他人事意識から脱却する
d.「若手」が参画できる基盤をつくる
e.「若手研究者問題」をめぐるアンケートや討論会を定期的に実施する
2.研究環境の改善にむけて
a.「若手」の研究発表の機会を確保する
b.オンラインツールの活用を標準化する
c.ポストドクターの研究環境の維持・確保を支援する
d.研究時間を確保できるよう、業務負担をみなおす
3.経済的な問題の軽減にむけて
a.学会へ継続的に参加できるような仕組みを用意する
b.学会の情報発信力を強化し、存在意義を高める
c.研究と生活を無理なく両立できる労働条件を実現する
d.歴史学をふくめた人文社会科学系のポストの維持・拡充にとり組む
4.ハラスメントへの対処とその防止にむけて
a.ハラスメント問題とむきあう姿勢を確認する
b.学会横断的なハラスメント相談窓口を設置する
c.「ハラスメント防止宣言」の実現にむけて、具体的なとり組みをおこなう
5.ワーク・ライフ・バランスの実現にむけて
a.各学会で具体的なとり組みに着手する
b.研究者におけるワーク・ライフ・バランスのあり方の検討をかさねる
6.ジェンダーにかかわる問題の真の解決にむけて
a.ジェンダーは「若手研究者問題」の縮図だと考える
b.ジェンダーは女性の問題ではなく、誰しもに関わる問題と自覚する
7.歴史研究の将来にむけて
a.歴史研究者のキャリアパスを提示する
b.歴史研究の可能性をひろげるために、オープンアクセス化を推進する
日本歴史学協会若手研究者問題特別委員会では、西洋史若手研究者問題検討ワーキンググループによる『西洋史若手研究者問題アンケート最終報告書』(2015年)での提言をうけて、2015年度にウェブ・アンケートを実施しました(当時の名称は若手研究者問題ワーキンググループ)。その結果については、2019年度から2020年度にかけて、「「若手研究者問題」解決に向けた歴史学関係者の研究・生活・ジェンダーに関するウェブ・アンケート立場別報告書・集計表」としてウェブ公開するとともに、「若手研究者問題ウェブ・アンケート最終報告&検討会~若手研究者問題の解決に向けた提言を考える~」(2020年10月19日)をオンライン開催しました。また、歴史学研究会2020年度大会の特設部会「「生きづらさ」の歴史を問うⅡ―若手研究者問題について考える―」(2020年12月5日)でも、報告と議論の機会を得ました。
アンケートの実施に際しては、加盟学会をはじめとした多くの団体や個人から、カンパを含めたご協力をいただき、さまざまな立場から、直面している事態や困難、それらをふまえた率直なご意見を、数多くお寄せいただきました。なかには、アンケートに答えること自体が苦痛をともなうとの声も含まれていましたが、それにもかかわらず回答をお寄せいただいたことに、この問題の解決にむけた思いを新たにしました。お寄せいただいた声、それにもとづく現状分析、および析出した課題については、日本歴史学協会のウェブサイトの若手研究者問題のページ(http://www.nichirekikyo.com/young_researchers/young_researchers.html)より、「立場別報告書・統計表」をぜひご覧いただきたく存じます。
ここでは、アンケートの結果はもとより、それをふまえておこなった上記の分析・報告や、そこでの議論、お寄せいただいたコメントなどをふまえたうえで、若手研究者問題の解決にむけて、以下のとおり提言します。
この間、わたしたちが「若手研究者問題」と称してきたことの本質にあるのは、単なる世代としての若手をめぐる問題ではなく、研究が安定的に継続できる環境を求めていながら、その環境を得るに至っていない方々、あるいは形式上・制度上はそれを得られているようにみえて、実際には多くの困難や障害があると感じている方々をとりまく問題だといえます。そのような意味で、歴史研究の将来に関わる学界全体の問題だと認識するところから、とり組みをはじめる必要があります。
この問題は、世代としての若手や女性に端的にあらわれがちであることは確かで、そうした問題の所在を把握することは重要です。そのうえで、年齢や性別・性自認・性的指向にとどまらず、居住地域・国籍・民族・母語・障がいなど、さまざまな面で少数派や弱者となっている研究者(以下、「若手」と表記)をとりまく問題の解決をはかることが必要です。ある一面にかかわる問題の解決をめざすとり組みが、別の新たな問題を生みだし、本質的な解決から遠のいてしまうことがないような配慮が、つねに求められます。
「若手研究者問題」の真の当事者は、「若手」ではない人びとだという至極あたりまえのことを、団体・個人双方のレベルで再確認するところから出発する必要があります。身のまわりの点検からはじめて、具体的なとり組みに着手するべきでしょう。また、歴史学界におけるとり組みを、不断にみつめなおすためにも、歴史学にとどまらない、国内外の研究団体や研究者のとり組みについて、情報収集をおこない、必要に応じてそれを発信・共有することが求められます。
「若手」が声をあげやすい環境や空気を醸成することで、「若手」が主体的なアクションをおこしたり、学問研究の世界を動かす意思決定の場に参画したりできる基盤をつくることが必要です。ただその際に、参画可能性を担保することと、参画を強要することとの違いには留意すべきであり、「参画」や「世代交代」の名のもとに「若手」の負担や負担感だけが蓄積しないよう、工夫や配慮をかさねることが同時に求められます。
「若手」が声をあげることができる場のひとつとして、また今後も刻々と変化し続けるであろう現場の実状を把握し、解決策をアップデートするために、定期的なアンケートや討論会の実施が必要だと考えます。ただし、その実効性をあげるためには、歴史学関係学会間の緊密な連携や、歴史学の学科・専攻・コースをもつ大学の関係者を中心としたネットワークの構築、およびそれを活かした具体的かつ継続的なとり組みが不可欠です。
「若手」の研究がひろく認知されることにつながる、研究発表の場や機会を設ける必要があります。歴史学系の大規模学会には、依頼報告中心の大会をおこなうところが多く、自由論題などのかたちで「若手」がアプライして報告できる機会が限られています。パネルディスカッションを企画・運営することも貴重な経験となりますが、一方で「若手」の研究報告の機会を確保することは必須です。また、依頼報告型の弊害として、結婚・妊娠・出産などをした女性が、あらかじめ依頼の候補者からはずされるなど、研究発表の機会を失っているとの声も寄せられました。このように、企画側と発表機会を求める側とのあいだに意識のずれがあることにも留意が必要です。
「若手」のみならず研究者ひとりひとりを孤立させず、学問研究の世界にアクセスする回路や環境を整えるために、ここにきて急速に普及したオンラインミーティングツールを活用(併用)した学会・研究会・シンポジウムなどの開催を一過性のものとせず、今後も継続する必要があります。また、研究資源へのアクセスを容易にするのも、学問研究のバリアフリー化の重要な柱です。そのような観点から、学術雑誌・学会誌のオープンアクセス化の促進は喫緊の課題だと考えます。
スムーズに学位を取得しても、ただちに常勤職に就くのが容易ではないなか、大学院修了後も大学図書館などの研究拠点や研究資源へのアクセス手段を確保できるか否かは、「若手」の研究者生命を左右しかねません。それゆえ、ポストドクターのバックアップを出身大学・大学院などが積極的におこなう必要があると考えます。図書館利用の継続、とりわけデータベースへのアクセス権限(VPN接続による自宅など学外からのアクセスを含む)の保障は、その最も基本的なものといえるでしょう。ほかにも、競争的研究資金の獲得のために必要な研究者番号の付与や、研究・教育経験をつむためのポストの用意、細かなことではメールアカウントの継続使用の承認なども、キャリア形成を支援するために大切なことです。このような仕組みの整備には、継続的な情報の収集・発信・交換も、欠かせません。
高等教育・研究機関に所属する研究者から多く聞こえてきたのは、校務や教務に追われて研究時間を充分に確保できないという声でした。とりわけ任期つき採用の研究者にとっては、採用期間中にいかに優れた研究業績をあげるかが、その先のキャリアに直結しますので、より深刻です。任期つき採用をおこなっている高等教育・研究機関には、キャリア形成を念頭においた業務配分をおこなうことが求められます。研究時間の確保は、常勤の研究者にとっても切実な課題です。たとえば、外部資金を獲得した教員が、当該研究期間の校務や教務を分担する、ティーチングアシスタントを雇用できるようにするなどの仕組みづくりも必要になります。
研究を継続するための研鑽・交流の場として、学会は大きな意味をもちます。しかし、学会側からは安定的な運営の難しさ、研究者側からは継続的に参加することの難しさが指摘されています。両者にとって必要なのは、学会が参加しやすい場となることでしょう。そのためには、一部の学会がおこなっている、大学院生や不安定な雇用環境下にある研究者に対する会費の減免措置が、よりひろがっていくことが望ましく、その対象が世代的な若手に限られている場合には、「若手」を視野に入れた柔軟な運用も必要だと考えます。また、大会が遠隔地で開催されるために参加できないといったことがないように、遠隔地での開催時の経済的な補助、あるいはオンラインの併用といった仕組みをとりいれることで、大会に参加しやすい環境を整え、学会を活性化することが求められます。
大学の非常勤講師などの雇用は、「若手」がキャリアをつみながら、生計をたて、研究を継続するためには欠かせません。ただ一方で、厳しい労働条件をのまざるをえず、生計をなりたたせるために兼任をかさねることで、研究時間が失われるなど、本末転倒になるリスクもあわせもっています。そこで、週あたりの標準的な担当コマ数を目安として設けたうえで、それで生計がなりたつような1コマあたりの給与の最低水準を設定する必要があると考えます。また、有期雇用であったとしても、勤務年数やキャリアに応じた昇給を実施するなど、柔軟な対応が望まれます。もちろん、長期にわたって任期つき採用の状態にある研究者に対しては、「労働契約法」の趣旨に則って無期転換に途をひらくことが求められます。
人文・社会科学の知は人間社会の存立に不可欠です。そして、史料を収集・整理・保存し、かつ分析・解釈することによって過去を省察する歴史学は、民主的な社会を形成する基盤となる学問です。歴史学の学会は、ほかの人文・社会科学系の各学会と協力し、高等教育・研究機関におけるポスト削減の動きに注意をはらい、そのような動きに抗うことが求められます。ポストの維持・拡充に努めることは、若手研究者のキャリアパスを保障することにつながる重要なとり組みです。
ハラスメントをめぐっては、誰しもが加害者にも、被害者にもなりうるという、あたりまえのことが忘れられがちです。対面しないコミュニケーションがひろがるなかで、他者にむけられる想像力は硬直し、わたしたちはしばしば独りよがりになります。それだからこそ、ひとりひとりが双方向的な当事者性をくり返し確認し、そこから考えをはじめる必要があります。
高等教育・研究機関などでは、ハラスメントの相談窓口の設置が、少しずつではあれ進んでいますが、学界全体としてのとり組みは遅れているといわざるをえません。ハラスメントは個別の機関や組織のなかでのみおこることではないため、加害者と被害者が異なる機関や組織に属しているような場合には、学会横断的なハラスメント対応や対策が不可欠になります。とりわけ、SNSなどのツールを用いた誹謗中傷などには、学界をも超えた対応が必要になるでしょう。そこで、ハラスメントをめぐって、学会同士の連携と学会の枠を超えた相談窓口の設置が、まずは必要だと考えます。
個人名を秘匿し、被害者の利益を保護したうえで、ハラスメントの再発防止を促す制度の設計を目指して、日本歴史学協会は、2020年に賛同学会とともに「歴史学関係学会ハラスメント防止宣言」を発しました。まずは、この宣言を具体的なとり組みへと展開します。
各学会において、着手可能なところからはじめることが肝要だと考えます。大会開催時の託児サービスなど、すでにはじめている学会もありますが、他学会を参照したり、ノウハウに関する情報交換をおこなったりしながら、とり組みをひろげていくことが求められます。また、大会・例会・委員会などをおこなう日時の設定に関して、子育て世代のコアタイムをはずしたり、オンラインでの同時配信や録画配信をおこなったりすることも必要です。
一般的なワーク・ライフ・バランスをめぐる議論をふまえるだけでなく、研究者にとってのワーク・ライフ・バランスという観点から検討・議論し、認識を深める機会を、学会の大会などに際して設けることが必要です。それをとおして、学界全体の意識や環境を着実に変えていくことが求められます。ロールモデルの提示や高等教育・研究機関への提言などもおこなうと、より効果的だと考えます。
ジェンダーは、「若手研究者問題」を構成する一要素であると同時に、それが集約的にあらわれた問題でもあります。そのような意味で、ジェンダーはこの提言の全体にかかる問題であり、このように立項すること自体が、ジェンダーをめぐる問題状況を体現しているともいえます。それでもあえて立項するのは、あらためてジェンダーとむきあうための意識づけが必要だと考えるためです。
家事や育児をめぐる問題を女性とだけ結びつけて考えること自体が、認識や視野の狭隘を示すものです。事実、アンケートやこれまでの議論のなかでは、家事や育児をめぐる困難が、男性からも寄せられています。また、LGBTQに象徴される多様な性/生のあり方とも、学界をあげてむきあうことが欠かせません。ジェンダーをめぐる問題を女性の問題としてのみとらえて、解決をはかろうとすると、問題や学問をとりまく状況が、別のいびつさを帯びる可能性があることにも留意が必要です。女性をめぐる問題だとされてきた事柄は、男性も含めた誰しもに関わる問題であり、それはジェンダーの問題であるという、研究上ではすでに前提化されている認識を、自らに直接関わることとして自覚するところからはじめる必要があると考えます。
アンケートや議論からは、歴史研究者の研究環境やキャリアパスの多様さ、日本史と外国史など研究フィールドや研究テーマの違いによるキャリアパスの相違などがみえてきました。このような歴史研究や研究者をとりまく現状は、将来に対する漠然とした不安感が漂うなかで、大学での専攻や大学院への進学を検討している方々にとって、進路の判断材料ともなりうる大切な情報です。キャリアモデルなどを含めた、“歴史学の現在”に関する情報をきちんと示す必要があります。その際、オンラインツールを活用するなどして、ひろく情報に接してもらえる機会を用意することも有効だと考えます。
現在、各学会において、会誌のオープンアクセス化やそれをめぐる議論が進んでおり、この流れを加速する必要があると考えます。オープンアクセス化は、「若手」はもちろん、初学者あるいは歴史を知りたい、調べたいとおもった市民のすぐそばに、最先端の歴史研究の成果を届けることを可能にします。ひとりひとりの問題関心に歴史研究が手がかりや答えをもたらしうると示すことは、多くの有意な方々を歴史研究の世界にいざない、歴史研究の将来をきりひらくことにもつながるでしょう。また、日本の歴史研究の成果が、より確実に世界からアクセスされ、評価されるためにも、オープンアクセス化は必須です。それはまた、「若手」の研究環境の維持・確保、学会の情報発信力の強化、ひいては歴史学の存在感や存在意義を高めることにもつながると考えます。
以上は、日本歴史学協会はもとより、各学会や高等教育・研究機関など、日本の歴史学界をあげてとり組むべき喫緊の課題だと考えます。若手研究者問題の解決にむけて、ぜひ情報交換や情報共有をはかりながら、具体的なとり組みを進めて参りましょう。
2021年7月7日
日本歴史学協会
若手研究者問題特別委員会