日本歴史学協会は、一九五二年一月二五日、「紀元節復活に関する意見」を採択して以来、「紀元節」を復活しようとする動きに対し、一貫して反対の意思を表明してきた。それは、私たちが超国家主義と軍国主義に反対するからであり、「紀元節」がこれらの鼓舞・浸透に多大な役割を果たした戦前・戦中の歴史的体験を風化させてはならないと信じるからである。しかるに、政府は、一九六六年、「国民の祝日に関する法律」を改訂して「建国記念の日」を制定し、政令によって戦前の「紀元節」と同じ二月一一日を「建国記念の日」に決定して今日に至っている。
私たちは、政府のこのような動きが、科学的で自由な歴史研究と、それを踏まえるべき歴史教育を困難にすることを憂慮し、これまで重ねて私たちの立場を表明してきた。
二〇一二年の第二次安倍政権成立以降、教育の国家統制や反動化が進展するとともに、歴史修正主義的傾向が拡大した。なかでも二〇一四年の教科書検定基準改定により、政府の統一的な見解または最高裁判所の判例が存在する場合にはそれらに基づいた記述をすべきとされ、以来、現在に至るまで教科書叙述への政府の介入が強化され、教科書執筆に多大な制約が課されていることは看過し難い。こうした状況のなか、昨年、「国史」を名称に掲げ、皇国史観そのものの中学校歴史教科書が検定に合格し採択の場に登場したこと、及び、今春から使用される中学校歴史教科書の採択にあたり、復古的反動的内容を持つ自由社版の教科書が公立中学校では一五年ぶりに採択されるという現象が見られたことは、このような歴史認識が一定の影響力を依然として有していることを示している。一方、文部科学大臣は、昨年一二月に、学習指導要領の改定を前提とした諮問を中央教育審議会に行った。これにより、いわゆる「主体的、対話的で深い学び」の実質化促進と、教員の労働環境改善のためともされる学習内容の精選が進められるものと思われる。しかしながら、復古的歴史観を強調する一部の声を受け入れて、「精選」の美名のもと、現代の歴史教育において不可避である近代日本の対外侵略などの戦争加害の歴史に関する事項が削除されることのないよう、私たちは中央教育審議会での検討を注視していかなければならない。
二〇二〇年一〇月に菅義偉首相(当時)の下で起きた「任命拒否」事件以来、政府は日本学術会議に対する介入・圧力を強め続けており、昨年末には学術会議「法人化」に向けての法制化に着手することが発表されて、今国会への法案提出準備が進められている。「法人化」は独立性・自律性を強化するためとされているが、現実には監事や評価委員会の設置、会員選考方針への介入など、学術会議を外部(政府および財界)の管理・統制下に置く内容である。「法人化」によって国の機関から切り離されて公的権威を失い、財政誘導的な政策によって組織の自律性を喪失させられれば、結果的に学術会議が弱体化し、その活動が衰退していくであろうことは、法人化後の国立大学の惨状を見れば容易に予測されるところである。日本学術会議を、国策を事実上追認するだけの御用ナショナルアカデミーに墮せしめてはならない。私たちは、人類普遍の原理としての学問思想の自由を堅持するため、現行の日本学術会議法による枠組みを継続することを要求するとともに、日本学術会議の「法人化」に強く反対するものである。
「国史」を書名に掲げ復古的歴史認識を標榜する書物が中学校社会科の教科書として検定に合格し、ナショナルアカデミーを国家の御用機関にしようとする事態は、そう遠くない将来に、かつて歴史研究者としての私たちの先輩が強いられた自由な歴史研究を許さない学問的環境の再来と非科学的な内容に基づく歴史教育の復活とを危惧させるものである。敗戦後八〇年、広島・長崎への原爆投下から八〇年を迎える今、平和の基礎である歴史学の真理探究の力が後退させられることはあってはならない。私たちは引き続き、歴史学はあくまで事実に基づいた歴史認識を深めることを目的とする学問であり、歴史教育もその成果を踏まえて行われるべきであって、政治や行政の介入により歪められてはならないことを主張するものである。
二〇二五年二月二日
日本歴史学協会会長 若尾 政希
同会学問思想の自由・建国記念の日問題特別委員会委員長 栗田 禎子